川和田恵真氏インタビュー(映画監督)〈FRONT RUNNERシリーズ〉
2024.03.07
「国家を持たない最大の民族」と言われるクルド人。世界のクルド人人口は、3500万人から4000万人と推定されている。今日のクルド人の居住地域はトルコ、イラク、イラン、シリアにまたがっている。かれらは、大国の植民地主義やナショナリズムに翻弄され、地位を剥奪され、離散を余儀なくされてきた悲劇の歴史をもつ。
現在、日本には埼玉県川口市を中心におよそ2000人のクルド人が集住しているとされている。日本の入管体制下で、クルド人が難民認定されることはほぼなく、かれらの多くが在留資格を失い「仮放免」という不安定な状態での生活を余儀なくされている。ビザの問題で働くことができず、自由な移動も制限されるという、日本でごく当たり前に生きるわたしたちにはにわかに想像しがたい「日常」を、かれらは生きているのである。
こうした日本に生きるクルド人をとりまく現状をありのままに描いた映画が、2022年に公開された『マイスモールランド』だ。『マイスモールランド』は、埼玉県に住む難民申請中のクルド人家族の物語であり、難民申請が不認定となり在留資格を失った一家の危機を幼い頃から日本で育った17歳の長女の視点から描いた作品である。
今回は、商業映画としてはデビュー作となる『マイスモールランド』を手がけた映画監督・川和田恵真さんを神戸定住外国人支援センターに招き、お話を伺った。イギリス人の父親と日本人の母親を持つ「ハーフ」として日本で生まれ育った川和田恵真さん。ご自身のバックグラウンドや体験が、いかにして在日クルド人を描いた映画の制作につながっていったのか。映画との出会いや、『マイスモールランド』の制作プロセス、さらには昨年の入管法改正によって排除の色合いをさらに増す入管体制などについて、お話いただいた。
映画への関わりとそのきっかけ
――まず映画のことについて伺っていきたいんですが、『マイスモールランド』を撮る前から映画の仕事をしておられたわけですよね?どういうきっかけで映像関係の仕事をしたいと思われるようになったんですか?
大学時代に自主制作映画(『circle』。2012年に東京学生映画祭で準グランプリを受賞)を作りまして、その経験でこれを仕事にしていきたいと思うような出会いがあったり、人に映画を見てもらうという体験を初めてその時にしたんですけど、そこで自分の表現がこうやって人に届くんだなっていうことを知って、そこから映画を撮り続けていきたいなと思ったことが始まりでしたね。
――なるほど。自主制作の映画とおっしゃいましたが、差し支えなければどんな作品なのか教えてください。
大学で起きたことを基にしまして、それもシビアな話なんですけど、学校のサークル内で飲酒死亡事故があったんですけど、どんなことがあってそういう事故が起きてしまったのかというような話を作ったんですよ。
大学に入ってかなり衝撃を受けたのが飲み会の激しさだったんですよね。元々学生の集まりみたいなのは苦手で、ちょっとアンダーグラウンドな友達を作って集まってたんですけど(笑)。みんな吐きながら懸命に飲み続けるみたいな、そういうのが自分としては理解できなくて。そもそも自分はあんまりアルコール飲めなかったので、何でみんな一緒に集まるためにそんなに無理してまでお酒を飲んで繋がらなきゃいけないんだろうという疑問を持っていたんですよね。
〔映画は〕実際に亡くなってしまった事件の再現ドラマではなくて、それを切り口にしつつ学生同士で抱えてる友達同士の問題だったり、恋愛のこじれだったりそういうことが何か歪みを生んでないかなっていうところで、ちょっとミステリー調で楽しんで観ていただけるようなことも考えて作りました。
――作品の長さはどのくらいだったんでしょうか。
1時間くらいのものでした。それを初めて人に見てもらう機会があって、私はけっこう内向的なほうだったんですけど、こうやって自分の考えに共感してくれる体験ができたことにすごく刺激を受けまして。そこから学生映画祭とかで声をかけてもらう中で、映画作り面白いなって思うようになりました。そもそも映画とかドラマは大好きだったんですけど、そこに自分も関われるかもしれないっていう兆しを大学生の時に得ることができました。
自分の頭の中で思ってたことを実現させるだけじゃなくて、その過程で予想外のトラブルが起きたり、そういうことに対応しながら私だけじゃなくてその場にいるみんなで全員野球のような感じで映画を作り上げていく面白さみたいなのも感じたんですよね。
それまで自分の本音の部分で思っていることとかってあんまり友達にも言わなかったんですけど、これは自分のミックスルーツとして生きてきて感じてきたことも今後なんらかの形で表現できるかもしれないっていう手応えもその時得ることができました。
――商業長編映画としては『マイスモールランド』がデビュー作だと思うんですが、学生時代の自主制作映画から『マイスモールランド』までの間はどういった活動をしておられたのでしょうか。映画業界に詳しくないので教えていただきたいんですが、おそらく一般的に知られている普通の就活とはちょっと違うんですよね。
就職活動も大学時代にしたんですけど全然うまくいかなったです。しばらくやってたんですけど、先ほど言ったようにその頃映画を自分で作るっていうことにかなり興味が向いていたので、ほかの仕事をすることになかなか興味が行かなくて。そんな感じで就活への熱が全然なかったので、わりと序盤でもういいかなみたいな感じになってしまって。それで実はそのまま卒業してしまったんですね。
それから半年ぐらい経ったときに今所属している分福(※1)で監督助手の募集がありまして、その時に自分が学生時代に作った作品と作文の提出っていうのが条件だったので、その2つを提出して面接を受けて、そこで選んでいただきました。そこから監督助手として映画の作品とドラマの作品、あとテレビ番組ですね。それをADからやらせていただいて、5、6年ぐらいそういう生活をしましたね。
(※1)株式会社分福。是枝裕和監督、西川美和監督らを中心に制作者集団として2014年に立ち上げられた。
取材を通じたクルド人との出会い
その頃に『マイスモールランド』の企画を立てて、会社内では応援をもらえたんですけど、やっぱり外国人を扱った映画っていうことでそのまますぐに軌道に乗っていくっていうことも難しくて。まずはちゃんと人に届く脚本を作るためにちゃんとクルド人に取材しようっていうことで、2年ぐらいかけて作っていくことになりました。
――2年もの間取材をおこなわれたんですね。勝手な想像ですが、外部から人が取材に来て、最初はクルドの方々も警戒されたんじゃないでしょうか。取材の最初の頃はどうやってクルドのコミュニティにアプローチして、どうやって信頼関係を作って来られたんでしょうか。
十条でクルド料理屋をやられている方がいるんですけど、そこに行ってまずクルドのことを知りたいっていうのと、私は映画を作ってきた経験があるのでそれを映画にしていきたいっていう話をして、それでじゃあまずは一緒に話を聞いてみようっていうことで、彼の知人だったり友人を紹介してもらいました。
なのでいきなりコミュニティに土足で入っていくっていうよりは彼と一緒に入っていくってことをさせてもらったので、その方の協力があったからこそいろんな方が家に招き入れてくれたのかなと思いますね。
自分の目で見たことをベースに映画を作っていこうと思っていたので、取材は基本訪問ですね。結婚式行ったり、キャンプ行ったり、バーベキュー行ったりとか。〔クルドの方々と〕一緒の時間を過ごすっていうのと、それと切り分けてしっかりインタビューするっていう両方をやりました。インタビューの中心になったのは中高生で、15人ぐらいだったんですけど、その家族もみんな〔インタビューを〕やってるので、そう考えると100人くらいにお話聞いたかもしれませんね。
そもそもクルドの方々がすごく警戒心が強いっていう印象も私は全くなくて。自分の話を聞いて欲しいっていう思いもあったと思いますし、それだけじゃなくて友人として日本に暮らしている人と関わりたいっていう思いがあったんだと思うんですよね。だから〔家に〕訪ねるとものすごい料理で迎えていただいて。それも映画のシーンで描いたりしてるんですけど。どうしてこんなにかれらに壁がないんだろうってむしろ思うくらいなんですよね。
なので私がそこにアプローチするために特別な何かをしたわけじゃなくて、かれらの方が受け入れてくれたって感覚が強くありますね。
――クルドの方にお話を聞く時っていうのは、実は今映画を作りたいと思っていて、いろいろ教えてほしいというように、映画を作るってことを明示した上でアプローチされていた感じなんでしょうか?
自分は映画の仕事をしていて映画を作りたいんだっていうことは伝えていました。
ただ必ず作れるってゴールが約束されていなかったので、とにかく作りたいと思っているんだと、だからこそあなたたちのことをもっと知りたいんだっていう、そういう伝え方ではありましたね。
――ウェブ記事で拝見したのですが、銃を持っているクルドの女性兵士の写真を見て衝撃を受けて、そこから映画制作につながってくるわけですよね?それがどのように日本にいるクルド人へと関心が移っていったんでしょうか?
たまたまネット記事を見ていて、自分よりもしかしたら年下かなと思う女性が、国の軍隊ではなくてみずから銃を持って、自分たちの身であったり土地や家族を守るために兵士となって戦っているっていう記事を見て、どうしてなんだろうと思いました。私は正直そのときクルドのことを知らなくて、どうして国の軍隊が守らないのかとか、なんで自ら銃を持たなきゃいけないんだろうっていうことに疑問を持って調べてみたら、かなり数の多い民族なのに国を持てなくて、しかも大国にすごく翻弄されてきた歴史を持ってる民族だということを知ったんですね。
その時「国って一体なんなんだ」という事をすごく問いかけられているように感じたんです。自分自身のこととは比べようがないんですけど、自分も常に「外人」って言われて育ってきて、日本で生まれ育ちながらも常に「外人」として生きてきたので、国ってなんなんだっていう疑問で結びつく部分があったんですね。
しばらく後になってまたクルド人についてネットで調べていたときに「日本のワラビスタン」って出てきたんですよね。どういうことかなと思って詳しく調べてみたら、日本にも2000人ほどのクルド人が来ていて、しかも難民申請が通らずすごく苦しい暮らしを強いられているっていうことを知ったんです。
その時日本の難民申請がなんなのかも本当によく知らなかったんですよ。「難民申請に通らないってなんでだろう?」っていうくらいで。そういう自分が知らなかったことを知りたいっていうモチベーションから始まっていきました。
「ワラビスタン」って言われてるんですけど、でもいざ行ってみたら別に〔2000人が〕蕨市(埼玉県)だけに住んでるわけじゃないんですよ。蕨ってすごく小さいので。だから言葉だけが先行していて、実はもっと広く川口市とかのほうに暮らしてるんですよね。ワラビスタンっていうのは日本人が名付けたのかわからないですけど、話を聞いているうちにワラビスタンじゃないんだよってクルド人からも言われたりして。たしかにそんな小さいところにまとまって暮らしてるはずないですよね。
自分もネット記事から入ったので、〔クルドの方々と〕出会っていく中でネットでしか見てなかったことがどんどん崩れていったというか、そんな感覚がありました。
――なるほど。川和田監督の中で、それまでのネットを中心としたクルド人の表象が、リアルな出会いを通じて徐々に変わっていくわけですね。
そうですね。取材当時は今ほど注目を浴びてヘイトにあふれていたわけではなかったんですけど、なにも知らないがゆえの怖さみたいなものを感じてしまうじゃないですか。だから最初はアプローチするのも勇気が必要だったんですけど、いざ会ってみたら怖いと思わせる隙をくれなかったです。
『マイスモールランド』の背景にあるもの:クルド人高校生をとりまく現実と日常
――『マイスモールランド』の主人公であるサーリャはクルド人の高校生ですが、なにかモデルになるような子がいたんでしょうか?完全なフィクションなのか、取材に基づいてあのキャラクターができたのか、教えてください。
実はさっき話した銃を持った女性兵士の名前が「サーリャ」だったんですよ。サーリャという名前について聞いたら「自立」などの意味の言葉でもあると教えていただいて、そこでもらった名前だったんですよね。モデルについては特別誰か1人に沿ってということはむしろしないようにしようとに思っていました。
映画作りの過程で参考にお話聞かせてもらってはいるんですけど、その人の人生はその人のものなので、特定の人の話に基づいて作るっていうのが今回はちょっと違うかなって思いました。もちろん誰か1人の人生に基づいた作品もあるかと思うんですけど、今回は匿名性が高いほうがいいかなと考えました。なので聞いた話をそのままではなく少し発展させて、フィクションとして表現するとしたらこういうふうにしたらいいかなというのは考えて〔映画作りを〕やっていきましたね。
クルド人の同じ年頃の子でも十人十色で、本当にいろんな子がいます。日本や韓国のアイドルが好きな子もいれば、出身国の俳優が好きな子ももちろんいる。そういう話はすごく参考にさせてもらいました。
――主人公を高校生にしようと思ったのはなぜですか?
いくつか理由があるんですけど、高校生が日本育ちのクルドの人たちにとってもっとも道が閉ざされてしまう瞬間が待ち受けていると思いました。学校まではどうにかやっていけることのほうが多いと思うんですけど、その先、大学や就職となった時に色々壁が待ち受けていて。やっぱりビザが一番多いですね。18歳前後で仮放免(※2)になったという話もけっこう聞きますし、ほかのクラスのみんなが当たり前に持っている権利とか自由というものがその教室内でその子1人だけ閉ざされてしまうことが実際に起きてて、その理不尽さを伝えたいと思い〔主人公を〕高校生にしました。
あとは高校生って多くの人が通ってきている道だと思うので、普段なにげなく通っていた教室にサーリャのような存在がいたのかもしれないとか、そういう想像力をみなさんに持ってもらうためにも高校生を描きたいなと思いました。
それと青春を描きたかったというのもあります。青春の大切な時間が奪われてないかという、そういう視点からこの映画を作りたいなと思っていました。
(注2)なんらかの事由で在留資格を失い、出入国在留管理局に収容された外国人を、保証金を納めさせることで一時的に収容を停止し、身体拘束を解く措置をさす。仮放免が認められた場合は仮放免許可書が発行され、1~3ヶ月に1回の頻度で出入国在留管理局に出頭し、仮放免に関する延長手続きをおこなわなければならない。
――たしかに、川辺でパンを食べるシーンとか、たぶん日本の多くの高校生が似たような経験をしてきたのかもしれませんね。サーリャにもそんな当たり前の日常があるって言ったらいいんですかね。お話を聞いてすごく高校生という設定にも共感できました。
あとはそもそも中学から高校への外国ルーツの子どもの進学率が5割ぐらいだったかと思いますが、そういう壁もあったり、制度的にも16歳になるともし仮放免であれば毎月入管に通わないといけないですよね。
さらに究極の選択として、映画の中でサーリャも直面しましたが、自分や兄妹だけ残るか、〔強制送還される〕お父さんと一緒に帰るのかどちらかの選択を突きつけられるのもだいたいティーンエージャーの頃なんですよね。だから入管問題の理不尽さってのいうを描く時に、この年頃の高校生に着目されたのはすごく納得がいきました。
ありがとうございます。特に私が取材してた時期だとちょうど高校生世代が多くて、だからこそ、その年代に着目したのもあります。話を聞いていくうちに〔クルドの人びとをとりまく〕問題を描かなきゃいけないっていう意識も強くなったんですけど、同時にかれらが日本で過ごしている大事な日常の時間があって、そんな彼らの人権が奪われてしまってるんだということを描くべきだと思ったので、その日常の時間は本当に丁寧に表現しようと思っていました。だから青春の時間だったり、友達と過ごす時間だったり、家族と過ごす時間だったりっていうのはすごく大事にしました。
――難民でビザを申請している状態だったらとにかく常に真面目じゃないといけない、余白の時間も許さないって考えの方がいらっしゃったりします。でも監督がおっしゃるように、サーリャにも恋心を抱く時間があるし、バイトをしてる時間もあるし、学校で友達とはしゃいでいる時間もあるし。そういった普通の日常を描いているこの映画を観てハッとさせられた方も多いんじゃないでしょうか。
そうですね。難民というとボロボロの格好で船でたどり着かなきゃ難民ではないとか、難民キャンプにいなければ難民ではないって思う人多いと思いますし、私もニュースで見たりしてそういうイメージを持っていました。でも自分の身近に〔難民〕申請者はいて、必ずしもみんながみんな船でボロボロになって辿り着くわけじゃなくて、行く場所を選んでいる余裕もない中で飛行機乗ってたどり着いたのが日本だったとか、とにかく観光ビザで入れる国が日本だったとか、安全に暮らせるって聞いて日本に来ていたりだとか。
あと難民にも色んな人がいて、必ずしも何も仕事ができなくて貧乏でっていう人だけじゃないです。だからクルド人の家を描くっていう時に、本当に私が見たリアルな家を表現したいなって思っていました。かれらが大事にしているクルドの物とか、絨毯とかカーテン、料理の道具とか、余裕がない中でそれを大事に持ってきてるんですよね。そういう思いは大事に描きたいと思ったんです。実際にクルド人でビザがない人に出演してもらうってことはできなかったんですけど。
でも実際に映画を作る中で、普段使っている物をお借りしたり、食べ物を現場で作ってもらったりしましたし、常に現場で見ていてもらうっていう形で一緒に映画作りに参加してもらいました。
在留資格取消、仮放免、一時旅行許可について
――『マイスモールランド』ってタイトルを見た時、最初はピンと来なかったんですが、仮放免や一時旅行許可(注3)のことが念頭に置かれているんだなと気づきました。クルド人の中にも在留特別許可取った人もいれば、ごく少数ですけど難民認定を受けた人もいます。でもそのほかの多くは特定活動ビザの在留期間が終わっちゃって仮放免になるかですよね。その仮放免という制度について監督はどのようにお考えですか。
最初は理解できなかったですね、仮放免。仮に放免しているっていうことで、「本来ならばあなたは入管に収容されますよ。でも暫定的に放免してあげています」っていう、そういうことだと思うんですけど。〔仮放免の実情として〕直接追い出すことはしないけど、仕事はできません、県外には出られません、保険はありません。それでビザ〔在留資格〕ももちろんありませんっていう中で、そりゃあ生きれませんよね。
「出て行ってください」って直接的に言うんじゃなくて、そういう間接的なやり方で追い出そうとしてる制度だと思っていて。人の自由とか人権を奪っておいて、でも無理やり追い出しはしないっていう、もうここにいられないっていう状況を作ってっていうのがすごく苦しい。でもその苦しい中でそれでもかれらは生きるために〔日本に〕居続けるしかない。だから出口がないなって本当に思います。
(注3)仮放免中の外国人は、居住地のある都道府県内のみに行動範囲が制限される。もしやむを得ない事情で許可された地域を超えて移動しなければならない場合、事前に入管に「一時旅行許可」の申請をおこなわなければならない。
――実際インタビューされたクルド人の中には仮放免の状態にある当事者もたくさんいらっしゃったわけですよね。取材する中で仮放免について話を聞く機会はありましたか?
まず一番に出てくるのは収容への恐怖なんですよね。仮に放免されてるだけなのでいつ収容されるかわからないっていう不安と常に向き合わされていて、実際に家族が収容されてるという方も多くいました。私が取材で話を聞いたのはだいたいコロナの直前ぐらいで、コロナ以降また収容のあり方が変わっていったんですけど、その前は本当にかなり多くの人が収容されて、1年、2年、3年、4年っていう長い期間家族が出てこないっていうケースもたくさんあったんです。その多くはお父さんで、稼ぎ頭がいなくなってしまう。仮放免になったら働いてはいけないけれど、でも働かないと生きていけないから法を犯すしかなくなってしまう。そんな中で働いた結果捕まってしまったり、仮放免だと居住地の都道府県外に移動しちゃだめなのが仕事の関係でどうしても都道府県を越えなきゃいけないと。それで県を越えた結果その場に警察がいて捕まってしまったってケースだとか。
あと普通に入管に定期的に〔仮放免更新許可のために〕通っている中で突然〔収容されて〕出てこなくなったりだとか、そういう話もいっぱい聞きます。「日本で難民申請することは難病にかかるようなことだ」と当事者の方から聞いて、まさか日本がそうだと思わずにこれまで生きてきたので、そこの衝撃は大きかったですね。
日本では1%行ったり行かなかったりっていう難民認定率ですよね。でもそこまでちゃんとリサーチして、自分たちが〔日本に行っても〕大丈夫かなっていうのを調べてまで来るような余裕がかれらにあるとは限らないんですよね。〔クルド人の〕中には20年、30年と生活している人が実際に日本にいるので、希望があると感じるんだと思います。
でも実際にそこで現実として待っているのは仮放免だったり、いつ収容されるかわからないっていう状態で、ものすごく不安定なんですよね。それなのに来るしかない状況があって。
どうして日本の〔難民をとりまく〕状況に関する情報伝達がされないんだろうかって疑問に思ったりもしたんです。でもほかに選択肢がない中で日本には来やすい、しかも自分の親戚がいるぞっていう、そういう状況下で増えていったんだろうと思います。
今〔在日クルド人人口が〕2000人と言われてますけど、子どもも産まれてるのでもうちょっといるのかもしれませんね。
――『マイスモールランド』はとてもリアリティがある映画だと思いました。私も映画で出てきたように、難民申請が認定されず在留カードにパンチで穴が開けられるところを実際に見たことがあるんですが、なによりも面会室がすごくよく再現されてるなぁと。取材期間中は入管にもよく通われたんでしょうか?
私も何度か入管には行きました。当事者の方と一緒に行くっていうのが多かったんですけど、入管に収容される前までは自分の足で歩いていて普通の体型だったような方が、もうガリガリになって車椅子でしか出てこられない状況も目にしたりしたんですね。インフルエンザになったんだけどもう4日間薬もらえずに、高熱になったまま医者にも診てもらえませんでしたっていう話があって、それっておかしくないですかっていうことを家族と一緒に入管の職員に訴えに言ったことがあったんですけど、〔職員は話を〕聞いてくれるんですけど何か透明な人間に喋ってるような印象を受けたんですね。とにかく事務的でした。「お気持ちはよくわかりました」「それはわかってます」「理解してます」っていうようなやりとりが続くだけで。でも気持ちもなにも、実際に体調を崩して命に関わるような状態の人がいて、その対応がちゃんとできてないならすぐ改善すべきことだと思うんですけど、外国人だからなのかビザを失ったからなのか、そこに対しての意識が急に薄れてしまうんですよね。
亡くなったウィシュマさんのこと(注4)もありますけど、なぜ急にそこで人間として扱う意識が薄れてしまうのか。私が行ってたのはコロナ前ぐらいなので、ウィシュマさんのことがあったりしてからどういう改善がなされているか全部分かるわけじゃないんですけど、その時の状況を職員さんに伝えた時はすごく対応がお役所的でしたね。全く響いてない感じでした。一緒に行ってる私でさえそれを感じたので家族となったら重さが全然違うだろうと思いますし、行く度にすごく魂取られちゃうような経験をされてるんだなっていうのを感じました。
(注4)2021年3月6日、名古屋入管に収容されていたスリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさんが死亡した事件。ウィシュマさんは自身の健康状態の悪化を訴え続けていたにもかかわらず、適切な治療を施されないまま亡くなったため、出入国在留管理庁の体制そのものが問題視される事態となった。
――実際に当事者の方の意見を伝えに行くっていうことまでされてたんですね。
友人でもある当事者の方だったので、そういうことはありましたね。
――当事者との距離の取り方はその人ごとに違うと思うんですが、友人として寄り添っている監督の姿勢は素敵だと思います。
あと面会室も、もちろん実際にそこで撮影できたら一番ではあったんですけど、それは私の作品ではできなかったので、いかにその雰囲気を伝えるかっていうのをスタッフみんなで確認しました。面会室を見に行かせてもらって、こういう色合いだなとかこういう広さだなとか声の響き方はこういう感じだなとかを話し合って。なのでスタッフの力があって再現することができたと思います。
『マイスモールランド』に込めた思い
――クルドのことを映像にして作るというのは決して簡単なことではなかったと思います。でも監督助手やディレクターのお仕事を5、6年しながら、いつかはこういった外国ルーツの人びとに関する映画作品を撮りたいと思っておられたんですか?
邦画で外国人が主人公のものって本当に少ないんですよ。在日コリアンの話だと、当事者の素晴らしい監督も出てきてこれまでいくつか作られてきたんですけど、でもアジア以外のルーツを扱った映画はまだまだ本当に少ないなと思っていて。もしデビューできることになったら、最初の作品はそういうものを作れたらいいなって思っていました。
あんまり自分がそこまで背負わなくてもいいのかなって若干思ったりもするんですけど、もしかするとこれが遺作になるかもしれないじゃないですか。その時に悔いのないことをやりたいなとは思って作品づくりに取り組みました。確かに少し気負い過ぎていたかもしれないんですけど、自分のこととも少なからず関係がありながらも、これは絶対人が知らなきゃいけないとかって思ったんですよ。
もちろんクルドの状況もあるんですけど、特に自分の意志と関係なく日本で生まれ育った今の若い世代の姿にすごく心を打たれたんですよね。自分の国と言えるもの、自分の民族と言えるものに対してすごく曖昧だったり、どう向き合っていいのか難しかったり、なんだかよくわからないうちに自分の権利や自由が失われていると感じているそういう子たちのことを描きたいなと強く思ったんです。
実は最初の段階では〔クルドの子たちに〕映画に出てもらいたいと考えました。でもその時の考えが足りていなかったと思っています。実際に難民申請中の人が顔や名前を晒して、しかもそういう〔クルドの〕テーマを扱った映画に出演するというのが、どれほどかれらの生活にとっても、難民申請の状況にとってもリスクがあることなのかっていうことにまだ理解が足りてなくて。でも実際に話を進めていく中で、いかにそれがかれらをリスクに晒してしまうことになってしまうのかっていう現実にぶち当たりました。
映画に出たいって言ってくれた人もいました。それなのにその期待に応えられなかったのは悔しいですし、映画に自由に出てもらえない今のこの状況こそおかしいとも感じたんですよね。だからこそ、この映画を作らないっていう選択肢は取っちゃいけないなと思ったし、おかしいからこそ作ろうと強く思うようになりました。
――あらためて映画『マイスモールランド』を通じて伝えたいことがあれば教えてください。
やっぱり「見知らぬ人への想像力」かなと思います。これまでニュースで見る他人事だったのが、映像を通じて自分が作っている社会の出来事として実感を持てるよう伝わればいいなという気持ちです。『マイスモールランド』もいろんな感想をもらいながら、世界の見え方が変わるきっかけとして観ていただけたのかなっていう希望ももらったので、今後もそこを目指して作品づくりができたらいいなと思っています。
それと、映画の中でもマイクロアグレッション(注5)に相当するシーンがいくつか登場します。〔マイクロアグレッションは〕正直私も無意識にやってしまうことがあると思いますし、皆さんも気づかぬところでやってしまっているかもしれません。それを疑似体験すると言いますか、背負ってきたバックグラウンドとか歴史によって相手の受け取り方もいろいろあるんだということへの想像力につながるといいなと思っています。
私自身がミックスルーツということもあって、海外にルーツを持っている人のことに興味があるんですけど、今後いろんなことに挑戦していけたらいいなと思っています。必ずしも外国人のことだけじゃなく、これまで知らなかった人たちに新たに出会って世界を知っていきたいので、今後もいろんな出会いがあると嬉しいです。
(注5)マイクロアグレッションとは、あからさまな差別とは対比され、より繊細であいまいな形をとって日常的なコミュニケーションのなかから立ち現れる差別をさす。マイクロアグレッションの特徴として、しばしば発する側に悪意がなく無自覚であることが多く、受け手がネガティブな感情を抱いていることに気づきにくいということが挙げられる。
――監督ご自身が非常に想像力が豊かな方ですね。大学の飲酒事故のこともそうですし、クルドのこともそうですし。いろんなことを想像することによって作品になってるんだなということが伝わってきます。この映画の反響についても教えてください。
日本の方は初めて知りましたっていう感想が圧倒的に多かったですね。日本の難民行政初めて知りました、入管行政初めて知りました、クルド人の存在初めて知りました。結構ニュースにもなっていたんだけどなぁって思うんですけど、なかなか届いてないんですよね。
まず映画を通じて初めて知って、あと自分には何ができますかって尋ねられることもあります。映画ではそこまでの答えはないので。でもそれで実際に行動を起こしましたっていう話も届いたりしたんですよ。地域の日本語教室にメンバーとして通ってますとか、署名活動してますとか、募金しましたとか。それだけがゴールの映画というわけではないんですけど、見た方が少しでも見えてる世界に変化があったらいいなと思って作ったので、そういうなにか、自分の世界を変えてみようって思ってくださった方がいるのは本当に希望だなと思いました。
あとクルド以外のルーツの方からも「自分の話です」っていうような感想が届いたんです。国外でも結構上映したんですけど、全然予想もしない場所で予想もしないバックグラウンドの方から「これは私の話でした」って言われたこともあって、すごくそれを涙ながらに伝えてくれるような方もいたりして、思いがけない形で広い視野を持って届く作品になったのだと感じました。
「ハーフ」としてマイクロアグレッションにさらされながら
――さきほど子どもの頃から「外人」って言われ続けたという経験をお話いただきましたが、今でも悪気なく使ってる人が多いですよね。
そうなんですよ。ずっと日本で生まれ育ってきたので「めっちゃ『内人』なのに」って思うんですけど…(笑)。やっぱり私は「外人」って言葉は差別なんじゃないかなと思っています。やっぱり聞いていて嬉しくないものなので。でもたぶんその認識ってまだあまり浸透していないですよね。
――ただ「外人」って言葉が悪気なく使われてるって言われてもう30年近く経ちますからね。ずっと悪気がないからって理由で外国ルーツの方が納得しなきゃいけない状況にも問題があると思います。
そうですね。でも自分の大事な人、関わり続けたい人には嫌だということをしっかりと伝えようとは思っています。映画作った後には結構意気込んじゃって、そういうことに遭遇したらその都度だれに対してもに伝えなきゃと思ってたんですけど、それはそれで自分がしんどくなっちゃいますよね。ちょうど昨日とかも言われたんですけど、「あ、でも日本生まれ日本育ちなんですよ」みたいに軽く返しちゃうことが多いですね。
――川和田監督はこれまでそういった状況に遭遇する度に、どのように解決してこられたんでしょうか?
解決ですか、うーん…。なんだか強くあることがすごく求められるんですよ。私は30歳になったので、もう慣れです(笑)。今は正体を明かす時にちょっと楽しめるようになってきたかもしれないですね。でも17歳とかで差別体験に遭遇した時に泣き出してしまう子のことを私は弱いと思わないし、その子の感性も尊重したいと思っています。だから「あなたは間違ってなくて、間違ってるのは配慮のない相手や社会だから」というスタンスで私は向き合いたいと思っていますね。
――ハーフであるという理由だけで背負わされてきたものが多いと思います。そういったことに直面した時に相談できるような人が周囲にいましたか?
いやぁ、いないですね。親にも言ったことなかったですし、友達にも「『外人』って言われて嫌だ」なんて伝えたこともなかったです。
――小中高と進学する中で環境が変わると友人関係も変化したりして、それまでの景色がガラッと変わったりするじゃないですか?
そうなんですよ。高校くらいから一気に変わったんですよね。それまでのいじめとかっていう感じから急に羨ましがられる存在になったというか。その頃テレビに出てるミックスルーツのタレントとかが流行ってたんで、そういう人とかと重ねられたりして急に羨ましがられるようになって(笑)。でも今までのあれはなんだったんだろうっていう感じだったんですけど。
――日本の社会でハーフやミックスルーツの人に対するよくある偏見ってなんなんだと思いますか?
自分の話に限って言いますけど、「見た目が外国人なら外国人」っていう固定観念がありますよね。だから「見た目が外国人だけど日本人」って発想はないですね。でも海外だとそんなことないと思うんですよ。
いろんな人がその土地で暮らしてるんだっていう当たり前の共通理解がそこにはあるんだなと思いましたね。例えばフランスで歩いていて、私とかほかの日本人スタッフが道を聞かれるっていうようなことも結構ありました(笑)。日本だとまず多いのは「日本語上手ですね」とかって言われるんですけど、まあ日本で生まれ育ったんでって言うしかないんですよね。あとは「お父さん何人ですか?」とか「お母さん何人ですか?」っていうような、初対面でなんでそこまで言わなきゃいけないのかなっていうような質問だったり、びっくりしたのは「お父さんの血濃いんですね」みたいなことも言われたりしました。
あと日本人に英語で話しかけられるとかもよくありますよね。自分のバックグラウンドを伝えても英語で話し続けられることもあります。小さなことかもしれないですけど、そういう日々の積み重ねには慣れたとはいえ、やっぱりそのたびに心を削られるような感覚はあります。
「どう取り締まるか」ではなく「どう一緒に暮らしていくか」
――外国ルーツの人に対する日本政府や行政の対応のうち、問題だなと思うのはどういったところでしょうか?
うーん、そうですね…。専門家じゃないのでお答えするのが難しいんですが、「共に暮らしていくメンバーだ」っていう意識がやっぱり薄いのかなと思いますね。労働者としての頭数とかっていうのはすごく考えていたり、「何万人呼びます」って言ってたりはするけど、じゃあいざ自分たちの近くで一緒に暮らす時にどんなサポートをするのかってことになると、少なくとも自分が関わってきた人たちには届いていないように感じます。
現状をみると、政府とか行政とかとは関係なく、ボランティアの人の優しさとか理解があってなんとかまわっているっていうように私には見えました。川口の場合、地域のすぐ近くで暮らしてるボランティアの方々の尽力を感じました。行政としてももちろんやってることはあるはずなんですけど、私が出会ったクルドの人たちにはしっかりと届いているふうには見えなかったんですね。
――川口市の地域ボランティアの内容について具体的にうかがってもよろしいでしょうか?
日本語教室をやられてる方がいたり、クルドの料理教室っていう、クルドのお母さんたちが料理作って、そこに日本人を呼んで一緒にクルド料理体験をして食べるとか、そういう場を運営されている方たちがいるんですよ。近くに住んでるからやるようになったというか、一緒にやりたい、一緒にどうにかしなきゃいけないという思いから始まったように私には見えました。
それでもすごく大変そうでしたけどね、本当に。設営とか準備もそうですし、やっぱり言葉の問題ですね。特に、家にいることの多い女性は日本語を喋れない方も多いので、むしろ彼女たちの話す言語の1つであるトルコ語を勉強して手紙を書いたりしてる日本人の方もいて。そういう方々に希望を持つというか、支えられているなという感じがしています。
でも最近はちょっと排他的な空気感も出てきていますよね。もうちょっと厳しく取り締まってほしいみたいな話が出てきていて、「どう一緒に暮らして行くか」じゃなくて「どうコントロールするか」っていうことばかりに関心が行ってしまっている状況があるように思います。それこそいろんな権利を締め出して制限しているからこそ非正規だったり、違法の労働になっちゃったりしているので、そもそもそこが変わってくればかれらにもいろんな選択肢が生まれてきて、もうちょっと未来っていうものを描けるようになるはずなんですよ。
未来すらも描けない絶望の中でさらに自由も縛られていく。そこに「クルド人が嫌だ」っていう排他的な空気感が蔓延してしまうと、かれらとしてはいよいよ生きていくのが苦しくなっちゃうんじゃないかなと思います。
同じ地域で暮らしていく上で、言語や価値観のすれ違いはあると思いますし、全く問題がないとは私も思わないんですよ。それでも「郷にいれば郷に従え」だけだとも思わなくて、かれらの生活を尊重しつつ、こちらが求めることも伝えた上でどう一緒に暮らして行くかっていうフェーズに入らないと、なかなか未来を見通せないなと思うんですよね。
――クルド人の状況を取材を経てずっと見てこられた川和田監督ですが、今の日本の政策をみた時に、まず何が変わったらクルドの人びとの状況がよくなると思われますか?
特に仮放免の人に対しては、まず人間として当たり前に生きて行くためのサポートがないですよね。行政につながることができてないというか、〔クルドの人びとが〕そういうところからこぼれ落ちてしまうことになってしまっていて、その根幹には難民申請が通らないことがあると思っています。
これは多くの人が言ってることなんですけど、難民申請を取りまとめるような機関が入管とは別に必要だと思っていて、今だと取り締まる機関と保護する機関っていうのが入管1つになってるので、取り締まるのは入管、保護するのは別の機関が必要なんじゃないかなって思っています。そこが解決されない限り結果的に根幹が解決されてないと思うので、その根幹の見直しっていうのがなんでできないんだろうっていつも疑問に思っています。
今年、難民認定が2回以上不認定になった場合は強制送還できるような法律(注6)が通りました。サーリャや家族を直ちに強制送還できちゃうような法律が今年通ったわけなんですよ。そっちに向かうばかりでいいのかなっていうのは本当に思いますね。
知り合いのクルドの方がたまに電話をくれて、議員に手紙を書いたことなど報告してくれるんですけど、その度にお願いだからちゃんと伝わっていてほしいって、その思いを受け取ってちゃんと国会とか大臣まで届いてほしいって思うんですよ。頑張って伝えてきたっていうのを、「本当に聞いてくれたよ!」ってうれしそうに報告してくれるので、全部日本政府としてそれに応えるのは難しいのかもしれないけれども、伝えた当事者の声に向き合ってほしいなって思いますね。
(注6)難民認定申請中は申請が何度目でも送還が停止される規定(送還停止効)の適用を2回までに制限することで、難民認定3回目以降の申請者は強制送還が可能になる改正入管法が2023年6月に成立した。
――すごく大事なことをおっしゃっていただきました。根っこの部分が変わらないと1つひとつの施策がちょっと良くなるくらいでは状況は改善することがないだろうというお話でした。
前回の川添ビイラルさんに引き続き、川和田恵真さんもまた、外国ルーツのバックグラウンドを持つ映画監督である。奇しくも2人は、映画という表現手段を通じて「他者」に対して想像力を働かせることの大切さを訴えかけている点で共通する。
想像力は、あらたな実践を喚起する力を持つ。川和田恵真さんの場合、彼女の豊かな想像力は、それまでメディアの言葉を通じてしか知りえなかったクルドの人びとと実際に出会い、それを映画作品として描き出すという実践につながっていった。そして、公開された映画『マイスモールランド』は、さらに多くの人びとを巻き込み、あらたな実践を拡散する媒介となった。決して少なくない人びとが、映画を観なければ知ることもなかったクルド人をとりまく現実を初めて認識した。語りの中で登場した、異なる外国ルーツのバックグラウンドをもっていながらも、サーリャの物語を「自分の話」として受け止め感想を届けた人にとっては、『マイスモールランド』はそれまで「他者」であったクルド人の状況をはじめて自分事として受け止める契機だったのかもしれない。なかには、署名活動に参加したり、地域のボランティアに参加するなど、実際にクルド人支援に取り組んでいく人の姿もみられたという。こうしたお話をうかがいながら、映画のもつポテンシャルを再認識するとともに、自発性に基づく「下から」の実践のしなやかさと力強さ、そしてその可能性を感じずにはいられなかった。
映画『マイスモールランド』では、日本に暮らすクルド人の日常がありのままに描かれている。そこには、青春の時間や家族と過ごす時間といった、私たちが慣れ親しんできた日常が確かにある。一方で、それと同時にかれらの多くが仮放免という不安定な状況下を生き、いつ収容され強制送還されるかわからない恐怖にさらされていることも忘れてはならない。そんなクルド人の状況を知るためにも、まだ映画を観ていない人は是非これをきっかけに観ていただきたい。